薄室焼(うすむろやき)は、那須町大字高久甲の薄室地区で焼かれたのでこの名がつけられた。伝えによると、明治の中期頃、同所に住む平山政蔵(1865~1938)が窯を開き、近郷に販売していたという。笹間か益子の流れを汲む窯のようで、窯跡は平山貞夫氏宅付近や平山勝利氏所有地内に残っており、柿釉の大甕や徳利、壷などを焼いていた。現在は竹が混在する杉林となっている。
近くの不動尊堂には平山政蔵らによって奉納された絵馬(縦93.0cm×横60.5cm)がある。不動尊像に酒を供えて祈る2人と焼成された焼き物、製造所の家屋などが描かれている。「奉納明治廿四年旧二月廿八日当所陶器製造舗平山政蔵茨城県中野郡野口村関根兵吉平山仙蔵」と記されており、野口村は現在の茨城県常陸大宮市野口(旧御前山村)で、仙蔵は政蔵の義弟であった。
窯の操業は政蔵一代限りであり、現在では人々の記憶からも失われようとしている幻の焼き物といえるだろう。
名称 | 薄室焼(うすむろやき) |
所在地 | 那須町大字高久甲、芦野 |
種別 | 有形文化財/工芸 |
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